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■立場逆転
「都市伝説だと思ってたけどなぁ……」
上から我らがリーダーの声が降ってきた。元々身長差はあるが、その差より遥かに上から。それはそうだ。向こうは立っていて、こちらはベッドの上に横になっているのだから。
体調最悪、絶対的不調、平均体温を上回った身体……紛う事なき風邪の症状。『よこせ』という言葉を真に受けた風邪菌は、見事こちらの身体に移動した模様で、数日後立場が完全に逆転した。
頭で熱が大きく波打つようにぐらぐら動き、放出を求めて顔まで巻き込まれて熱くなる。目を開けているのすら一苦労で、目蓋も普段、筋肉使って持上げているんだと再確認。
同じく、声を出すのも体力が必要なのだと改めて痛感した。返答を搾り出す。
「お前が負けた菌だからな……そりゃ強力なはずだ……」
「……お前変な声になってるな。悪い悪い、喋らなくていいぜ。オレ独り言続けるから、うざくなったら言ってくれ」
椅子をベッド横に移動させて、持参したリンゴとナイフをそれぞれ片手に持ちながら鬼柳は言う。
鬼柳は率先して看病を引き受けた。少なからず責任を感じているのだろうか。仕掛けたのは完全にこちらなのに。
楽しげにウサギがどうのこうのという歌を口ずさんでいる鬼柳を見れば、リンゴを切って皮を一部残し、丁寧に形を整えている。ウサギの形だ……このリーダー、変な所で妙な才能を発揮し出す。
はたと、鬼柳は手の動きを止めた。
「……いや、待てよ……? こういう場合のリンゴってすりおろした方がいいのか? あ、えーっと……独り言だから気にすんな聞き流せ」
明らかに返答を求める口調だった鬼柳は、こちらの姿を見て急に状況を思い出して話を捻じ曲げた。そして自己判断の結果、やっぱりすりおろした方が良いと判断したのか立ち上がる。すりおろすための道具でも取りにいこうとしたのだろう。
「でもうさぎすりおろすって残酷だよな……まあそんな事言ったら食えなくなるけど……」
鬼柳は立ち上がったままじっとこちらを見た。真剣に何かを考えているような、まじめな顔。この顔だけ見ればそう感じるが、今までの流れから考えるにどうせくだらない事を考えているに違いない。
鬼柳は椅子に座ると、自分で剥いたリンゴを自分で自分に一口運ぶ。そして、それを飲み込もうとせず、そのままこちらに顔を……近づけ……?
「ス、ストップ!」
「なんだよ喋るなって言ったろ」
止められた鬼柳は椅子に座りなおし、口の中にあったリンゴをしゃりしゃり噛んで飲み込んだ。さっきの真顔はこれか。こんな事をあんな真剣な顔で考えていたのか。一体どんな脳内構造をしているんだ。
「こうなった経緯を思い出せよ……今度はお前に風邪菌戻ってくるぞ」
「その時はその時だろ。気にするな」
食べかけのリンゴを食べながら鬼柳は気楽に言う。結局自分で食うのか……食べたいわけではないから良いのだが。
鬼柳は微笑を浮かべて続ける。
「もしオレがまたダウンしたら、風邪菌貰ってくれるか?」
「…………気が向いたらな」
「じゃあ問題ねぇよ」
鬼柳は再び立ち上がって、今度はストップをかける前に唇を重ねた。ほんのり甘い、リンゴ味。
鬼柳はにこにこ離れるとこちらを見つめた。
「……アホか……このまま無限ループ突入したらどうするんだよ」
「それはそれで満足だな」
「そんな小さいことで満足してんじゃねぇよ」
聞き覚えのある台詞をぶつけると、鬼柳は吹き出すように笑った。ひとしきり笑った後、ぽんぽんと布団を優しく叩いてくる。
「じゃあそろそろおやすみだな。大丈夫、起きるまでずーっと居てやるからな」
数日前をなぞらえて、鬼柳は楽しそうに笑う。まったく、その数日前の段階で弱っていた人間には思えない。
でもまぁ、こっちの方が全然良い……今回は風邪菌の口移しが失敗する事を祈って、眠りに付く事にした。
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