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■風邪菌
今日はここ数日と比較しても絶好調な日だった。一日で複数グループを余裕で撃破、地図の一角を黒く塗り潰す事に成功。
帰った後も割りと皆上機嫌で、本日は上々だったのではないか。そう思っていた。他の皆もきっとそう思っただろう。
なので、言葉を発した本人以外は、遊星の言葉を理解出来なかったと思う。
「鬼柳、どこか具合が悪いんじゃないのか?」
「は? 何言ってんだ遊星……オレはむしろ普段より調子が良いくらいだぜ?」
仲間の視線を集めた鬼柳は困惑した。心底予想外の言葉を受けたようで、頭にクエスチョンマークが浮かんでいる。
しかしそんな鬼柳に遊星は何かを差し出した。
「熱を測れ」
遊星は無表情だったが傍から見ても迫力があった。鬼柳はそのオーラに負けてしぶしぶと体温計を受け取るとその場で熱を測り始める。まるで母と子。
電子音が鳴ると遊星はひったくるように鬼柳から体温計を奪い、それを凝視した。そして、体温計からジャックに視線を動かす。
「ジャック、鬼柳を寝室に運んでくれ」
「へ? 何、どうしたんだよ遊星……は、放せジャック!」
流れ作業だ。遊星の指示でジャックは反発する鬼柳を担ぐと奥へと消えた。何が一体どうなっているんだ。呆然としていると遊星が先ほどの体温計を投げてきた。慌ててキャッチする。
「クロウ、すまんが片付けておいてくれないか……いろいろ用意する事がある」
そう言って遊星も奥へと消える。完全に一人取り残された。何一つ事態が飲み込めない……手がかりが一つ。渡された体温計を見る。それに目を丸くした。
体温計は38度後半をキープして停止していた。
*****
「なぁ、何でわかったんだ? 本人すら気づいてなかったじゃねぇか」
「今朝から少し様子がおかしいと思っていた」
いろいろ手にして戻ってきた遊星は氷枕を作りはじめた。ぼんやりその作業を見ながら質問してみたが、遊星の答えは淡々としていた。
「……オレは全然そう見えなかったんだがな……やっぱ遊星はすげぇわ……」
一応、うちのリーダー様をそれなりに観察している自身はあった。あまり認めたくはないが自然と目で追っていた事が多い。こんな事、口が裂けても言えない。誰にも。特に本人。
しかしそれでも。意識して観察していても気付くことが出来なかった。洞察力の無さを嘆く。そして今現在、何をどう動けば良いのかわからない……気の回らなさを嘆く。
「オレなんかさ……お前みたいに気は利かないし、器用じゃねぇし……」
「人には向き不向きがある」
遊星は作り終えた氷枕を手渡した。鈍い水音と氷がぶつかる音がした。
「鬼柳に持っていってやってくれ」
何でオレが、と突っ返そうとした。やりかけた。でも、これがないとあいつの様子を堂々と見に行けない……そう思った。何の用もないのに近づけない。心の中に潜む天邪鬼は圧倒的な力で独裁社会を築いている。今更どうしようもない。
「……ありがとな、遊星」
「オレは何もしていない」
小さく笑う遊星に微笑を返し、鬼柳の部屋へと向かった。
普段から用が無いと訪れない部屋に軽くノックして足を踏み入れる。中にはベッドに寝かされている鬼柳一人しかいなかった。
「届け物だぜー……まったく、バカは風邪引かないと思ってたが当てになんねぇなぁ」
近づいて鬼柳の顔を見下ろした。意識してみれば具合が悪そうに見えなくも無い……が。意識しなければ気に留めない……その程度。
鬼柳は鼻で笑った後に唇の端を吊り上げた。
「バカは風邪引かないって言葉を否定しないとすれば、これは風邪じゃないかもしれないぜ? めったに風邪引かないオレが掛かるなんてすげぇ強い菌だ。もしかして、あと数ヶ月でオレの命は……っぶ!」
持っていた氷枕を故意で鬼柳の顔に落としてしまった。わかっている。鬼柳が冗談で言ってることくらいは。
わかっていても……その理解とは関係なく、体の芯から音を立てて冷え切っていくのを感じて耐えられなかった。
「何だよ痛いだろー?」
「冗談は時と場合を選べよ!お前たまに死相っぽい顔するからシャレになんねーんだよ!!」
「え、マジかよオレたまに死相出てんの? いやー大丈夫だろ身体は丈夫だし」
氷枕を顔の上から頭の下へ移動させると、鬼柳は真っ直ぐこちらを見上げてきた。正直目を合せられない。顔ごと逸らす。
「もしかしてクロウ、心配してくれてんの?」
「……」
肯定する言葉が出せなかった。だが否定する言葉を出さなかっただけマシだったのかもしれない。鬼柳は否定しない事を肯定と捕らえて話を続けた。
「へぇ……意外だな。オレお前には嫌われてると思ってた」
「はぁ!? 何だよそれいつオレがお前を嫌ったんだよ」
「んー、そうだよな。オレの気のせいだった。嫌いならわざわざお見舞いに来てくれないしな」
思わず逸らしてしまった目線を元に戻すと、そこにあったのは無邪気な笑顔。年上の同性とは思えない。そしてこの顔で心臓が跳ね上がっている自分自身が信じられない。ありえない。
「クロウ、病人より顔が赤いぞ」
「っうるせぇ! ああもうめんどくせぇ……そもそもお前のクセに風邪なんか引くからややこしいんだ! 風邪菌よこせ!」
ヤケだった。ヤケクソだった。あまりにも心臓が動くから、いっそ爆発するまで追い詰めてやろうと思った。後先の事なんて考えるだけ面倒だ。
無防備な鬼柳の唇へ乱暴に唇を重ねた。熱い。改めて実感するその症状。唇を離すと、鬼柳は半眼だった。頬の色が赤く染まっているのは熱のせいだけではない。
「何、この展開……」
「……オレもわかんねぇ……早くも封印したい過去認定だ」
「いーよ、封印すんな。末代まで語り継げ」
鬼柳は上体を起こし、自ら唇を重ねてきた。そして微笑する。
「語らねぇよ……門外不出だ」
鬼柳を横にして布団を掛けなおした。本当なら個人単位で門外不出にするつもりが……小さく溜息を付く。
「何か……オレ風邪引いてよかったかも」
「…………そうだな」
もうここまできたら、開き直るか……鬼柳の頭を軽く撫でた。
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