■泡となりて消え往く
奴は職場にしか現れない。常にそうだったから。そんな決め事などしていない事に気が付いたのはまさに今この瞬間だった。
「よぉ社長ぉ。今日は残業じゃなくて持ち帰りかぁ?」
当社のセキュリティを何の困難も無くすり抜けてしまう奴だ。一般家庭とはかけ離れているとしても個人の屋敷に潜入するなどお手の物と言う訳だ。 秋と言っても肌寒い。奴の黒いコートとすれ違うとひんやりと外部の空気を感じる事が出来た。
決め事をしていなかったにしても、今まで屋敷の方にまで現れなかった。それがこうしてここに現れた事には疑問が残る。
「・・・新しく投入した我が社のオリジナルセキュリティシステムに敗北して屋敷の方をターゲットに変更したか?」
「さぁねぇ・・・そう思うのか?」
奴は・・・バクラは不敵な笑みでこちらを眺めてきた。無論、そんな事は思っていない。首からつるされている忌まわしき黄金のソレを分析でもしないかぎりそのようなセキュリティシステムを生み出す事は不可能だ。
こちらがそう思っているのは向こうも承知。
「まあ冗談はこれくらいにして・・・わかんねぇかなぁ・・・この時間に二人きりの空間・・・オレ様みたいな立場の人間なら誰もが望むシチュエーションだろうが」
「時間・・・?」
『オレ様みたいな立場』は曖昧で分からないものだったので時間の方に反応を示してみる。棚の上にある置き時計に目をやる。長針、短針が今にも重なりそうな距離にあり、その二つの針が迫る。 一秒、一秒、一秒。秒針は距離を詰め、長針を追い抜かしそして全てが重なり・・・
──ピロリンランロンリン~♪
「!?」
全ての針が重なったと同時に置き時計がメロディらしき音を奏で始めた。アラーム機能は付いているが単調な電子音を発するだけでメロディなどとはとても言え ない代物・・・それ以前にアラームなど設定していない。 不可解な現象。ならば犯人は・・・振り返るとバクラの首から下がる憎いソレが黄金の光を放っていた。
「ハッピーバースディ?瀬人・・・」
「何・・・?」
何の真似だと問い詰める隙をあたえられずに予想もしていなかった言葉をかけられる。ふとカレンダーを見る。記憶が正しければ今日は10月24日。
次に時計を見る。先ほどまで見ていた通り0時を回っている・・・そしてよくよく聞いてみればこの置き時計が奏でているメロディ・・・先ほどバクラが口にした単語が曲名ではなかったか。
全てが繋がった。思わず大きな溜息を付く。
「・・・それを言いたいが為に屋敷の方にまで来たと言う訳か」
「日付が変わると同時・・・ありがちだろ?そのありがちが最も求めていたシチュエーションだ」
バクラは成功してご満悦の笑顔を浮かべている。そして小さな箱を取り出すとその場で中身を取り出して差し出してきた。
「改めましてお誕生日おめでとう御座います瀬人様ぁ?」
渡されたのは青眼の白龍のミニチュアだ。だが手にとるとその材質に疑問を持つ。
「これは何だ?」
「ん?ああ・・・石鹸」
塩化ビニル、石膏粘土、蝋・・・あらゆる素材候補を無視して飛び込んで来た単語に身体が硬直した。
顔も相当なものだったのだろう。バクラは唇を尖らせる。
「んなあからさまに似合わねぇ~みたいな顔すんなよ・・・まあそれも想定内だけどよ・・・想定しててもいい気分にはなれないぜー・・・」
「・・・何故よりによって石鹸なのだ・・・」
渡されたものを観察すると細部に渡り綺麗に彫られているのがわかる。彫るならばもっと適した素材があるだろうに。感心するほど精巧な青眼だけに残念である。
「いいんだよ・・・手元に何か証拠が残ったら駄目だ・・・・・・最終的には潔く泡となって消滅。手元には何も残らない。残るのは記憶だけ・・・」
その言葉が石鹸を表している訳ではない事に気付かないはず無い。きっとこれは最後のプレゼント。
「ふん、愚か者め・・・そうされたいのなら口に出すべきではなかったな。我が社の力を持って千年先までこの状態を保持してやる」
勝ち気な笑みは相手の出方に対する相応の態度。向こうの反応は満更でもない様子の苦笑。
「うわー、天下の海馬コーポレーション社長様なのに意地悪ぃー・・・ほんと、もう・・・また生まれてきてくれてありがとな」
手を取り、唇を落とされる。軽く、触れる程度の。
「・・・『また』とはなんだ・・・」
「あー何でもねぇよ。気にすんな」
バクラが笑顔をみせる。この笑顔はやがて見られなくなるだろう。
こちらの存在の跡を残したくないという意思ならば、決してバクラを忘れる事は無い。そう、これは勝負。向こうが意図しない事を実現させる事でこちらの勝利。
最初で最後の・・・心が痛む勝利で別れを迎えてやる。
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