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■桜の木の下
「昨日宿主が遊戯達と花見に行ったんだ」
いつも話題の提供は向こうからだった。こちらから話しかけないのだから向こうが話しかけてくるのは流れとして自然だ。一応こちらの様子を窺っているのか、何も話しかけずにただぼんやりしている時もある。仕事が忙しいときはすぐに帰ってしまう。気を使っているのだろうか。
特に返事を返さずにパソコン画面を見続けた。少し見ないだけで溜まってしまっていた受信フォルダの未読メールをチェックする。取引先からのメールの中にはちらほらその『花見』という単語も見受けられた。
返答がないものの話続けても良いと判断したのか、奴は続けた。
「その時に誰だか忘れたが、桜の木の下には死体が埋まってるとか話してたんだが・・・」
初耳だが興味を持った、と言った所だろうか。言葉はそこで打ち切って視線で話しかけてきた。
「・・・梶井基次郎という近代日本文学の小説家が書いた短編小説だな。なかなかお前が好みそうな内容かもしれん」
「小説なのか・・・死体に残ってる養分を吸って桜が育ってるって感じだと思ったんだが」
こいつは幅広い場面で直感が優れている。こちらの機嫌を読む能力も同類なのだろうか。
「簡単に言えばそんな所だな。純粋に桜の美しさが信用出来ない主人公がそのように空想を広げる話だ・・・俺も詳しくは覚えていないがな」
片っ端から書物を読まされた時に含まれていたかもしれない程度だ。あまり良い思い出もない。こちらの都合で悪い思い出にされてしまっては作者もたまったものではないだろうが仕方が無い。
「へぇ・・・いいよな・・・死んだ後にそうやって形に残るっつーのも」
再びのんびり窓を眺め始めた。もしかしたら桜が見えるのかもしれない。思わずそんなバクラの様子を眺めた。
「・・・・・・そんな感想を聞いたのは初めてだ」
主人公に対する感想、桜に関する感想は多々あるだろうが、死体に憧れの念を抱くとは。少なからず自分を死体と過程しての意見だろう。向こうはこちらの思考を良く読むが、こちらはのらりくらりとかわして思考を読ませないやつに翻弄されるだけだ。
新着メールを知らせる音が聞こえるが無視をする。急ぎの用ならばそのうち電話が入るだろう。
「死ねば人間は死体が残る。それだけでもオレ様には羨ましい事だがな・・・これは瀬人様がお嫌いなオカルト話になってしまうわけですが」
薄っすら笑みを浮かべた顔でこちらを真っ直ぐ見て、機嫌を損ねていない事を確認すると続きを話す。
「オレ様の死は影も形も残らない。人の記憶に留まるような柄じゃないしな・・・社長だってオレ様が消えたら忘れちまうだろ?」
表情は変わらない。変わらないようにしているからだろう。
「ふん・・・くだらん」
目を伏せた後再び受信フォルダのチェックを始める。新着メールは取引先からの機嫌取り同然の挨拶で気分が損ねた。
バクラはしばらくこちらを見ているようだったが、今日はここまでかと読み取ったのか部屋を出ようと歩き出す。
その背中に、小さく呟く。
「忘れて欲しくなければ消えなければいい。忘れかけたら再び覚えさせろ。簡単な事だ」
やつは立ち止まる。こちらを振り返らずに返答した。
「そうだな。簡単な事だ・・・直々のアドバイスありがとよ」
その背中が酷く寂しそうだった真意を、読み取ることは出来なかった。
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