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■墜落する命

季節的にめずらしく、ハイランドは雨続きだった。
風にあおられることもなく、ただどしゃ降りの雨は地面を叩きつける。
運悪く遠征中だった騎士が数名、遮られた視界と、ぬかるんだ足元のせいで崖から転落、命を落としたらしい。
止む気配を感じさせない雨の音を背後に、クルガンは薄暗い部屋で一人、書類に目を通していた。
計画していたものもこの雨で延期や中止で城内の上層部は慌しい。
廊下ですれ違う部下も軽い挨拶だけですぐさま通りぬけてしまう。
突然の予定変更も、自然現象のせいだ。皆が駆け回るのも仕方が無い。
そこまで考え、ふとクルガンは書類から目をそらし、ドアを見る。
そういえば。
そんな慌しい雰囲気などお構いなしに、ある意味マイペースな生き方をしている将軍の姿を最近見かけていない。
最近、といってもどちからが遠方に出向いてしまえば数ヶ月顔を合わせないなんてことは良くある話なのだが、ルルノイエに居れば大抵1日1回は顔を合わせる。
それが数日ない。
そもそも、仕事量は増えているはずなのに自分の手元にあるものは普段と大差ない。
これは何を意味するか。
普段やらない仕事が舞い込むと同時に、普段やっている仕事が自分のところにきていない。
そう、その最近見かけない将軍の仕事が。
つまり普段頼まれてもなかなか動かない男が、デスクワークをこなしているということになるが。
「・・・・・・・・・・・」
クルガンは眉をよせる。
普段は叶わないとわかっていても切実に願うことなのだが、いざ叶ってみるとそれはそれで不審に思う。
・・・人間の性。
「(・・・仕事が一段落ついたら探してみるか・・・・・・)」
クルガンは再び書類に目を通し始めたのだった。



書類を提出したのちのやり取りが思いのほか長引き、外の風景だけではまったく時間の経過が感じられないが完全に普段よりも遅い時間に報告を終えたクルガンは誰ともすれ違わない廊下を歩く。
量こそは少なかったものの厄介な内容のものがあり、なかなかまとまらずに苦労してしまった。
静まり返った廊下を歩いていると、晴れている日も日光が入らない緩やかな照明に照らされた廊下に、最近見かけなかった赤い髪を発見した。
「シード」
「ん?ああ、クルガン」
静まり返った廊下に足音を響かせていたにもかかわらず、声をかけられて初めて気づいた様子のシードにクルガンは眉間に皺をよせた。
「・・・・・・こんなところで何をしている?」
「いやあ、別に何もしてないけどよ」
軽い口調でシードが言う。
たしかに何をするという場所でもない。辺りには何も無いし、何よりも一人廊下に で何をしろというのだろうか。
だからこそこの場に立っているということはおかしいのだが。
「何もしないで廊下に立つ趣味があったとは思わなかったな」
「そんな趣味あるわけねーだろうが。何が楽しいってんだ」
シードは大して気にしていないがわざとらしくムッとした表情で返した。
いつもと同じ反応ではあるだが・・・
クルガンは単刀直入にきいた。
「何かあったのか?」
「あー?何もねーよ。なんだよいきなり」
「普段やりもしないことをやりだしたので気になってな」
あくまでもクルガンは表情を崩さない。無表情を保ったままだ。
対するシードもいつも通り、変わった様子は見うけられない。
「・・・やらなかったら説教するくせによ」
クルガンの言わんとしていることを悟ってシードは唇を尖らせてクルガンを軽く睨む。
しかしクルガンはまったく怯まずにしれっと言った。
「それが嫌なら普段からまじめに仕事するんだな。早く部屋に戻れ。用も無いのにこんなところに立ち止まるな」
「俺がどこに立ち止まろうと関係ねーだろー?」
「・・・まあそうだな」
クルガンがその場を立ち去ろうと背を向けたとき、シードは思い出したように声をあげた。
「あ、そうだ」
「なんだ」
「雨は・・・止みそうか?」
シードの問いに「何かと思えば・・・」と呟いてクルガンは答える。
「見ればわかるだろう。一向に弱まる気配が無い」
「・・・そっか。呼びとめて悪かったな」
シードはひらひらを手を振ると、クルガンとは正反対の方向に歩みを進め始めた。
しばらくそれを眺めたあと、クルガンは自室へと戻るのだった。
問いの答えを聞いたシードが一瞬見せた、普段とは違う表情が引っ掛かりながら。



予想通り勢いの変わらない雨を窓越しに眺めてクルガンはため息をついた。
やはり昨日のことが気になる。
クルガンは自室を出てシードの部屋へ向かおうと視線を上げると、その方角からシードの副官が歩いてくるのが目に入った。
副官は軽く会釈し、クルガンを通りすぎる。
クルガンもそれに答え、正反対に歩き出そうとしていたときにふと違和感を感じ、副官を呼びとめた。
「待て」
「?はい、なんでしょうか」
「何処へ行く」
「はあ・・・これからシード様に書類を届けに・・・」
副官は手に抱えていた書類をクルガンに見せながら言った。
・・・しかしそれこそがクルガンの感じた違和感そのものだった。
「シードの部屋は正反対だと記憶しているが」
「ええ・・・しかしシード様はいらっしゃらないので」
「執務室も方向が違うと思ったが」
「・・・・・・・・・」
執務室にもシードはいないらしい。
クルガンは顎に手を当てる。
これはどういうことだろうか。
そんなクルガンの持った疑問を知り、副官は困った様子できょろきょろする。
しかしクルガンは副官に言った。
「私もついていって支障はないか?」
副官はしばらく眉をよせて考えていたが、やがて口を開く。
「・・・別に口止めもされてませんし・・・・恐らくは大丈夫かと思います」
そう返事をすると副官は「こちらです」とクルガンを案内した。
無言で歩いていた二人だが、目的地に近づくにつれてクルガンは疑問符を浮かべざるを得なかった。
普段はあまりこないような場所だ。
しかし副官の歩く速度は変わらずに、目的地まで到着した。
「つきました」
「・・・・・・・つきました、と言われてもな・・・」
そこは滅多に誰も使わない物置である。
上層部の人間はおろか、掃除係ですら使用している姿をみたことがない。
しかしお構いなしに副官は物置をノックした。
少し間を置いて、副官はドアをあけた。
「シード様、書類の追加です」
副官があけたドアから中を覗くと、そこにシードがいた。
「おお、ごくろーさん・・・・・って、は?」
シードが書類を受け取る際に視線を上げたときに、ドアの外の人物と目が合った。
視線を副官に向けると、シードは渋そうな顔をする。
「・・・・・・なんでクルガンがいるんだよ」
「ここへ来る最中にばったり会ったもので」
「だからってなぁ・・・」
「では私は失礼いたします」
副官はひき返し、ドアを出てシードに頭を下げたあと、クルガンにも頭を下げてその場を立ち去った。
残されたシードは忌々しそうに副官が居た場所を睨みつけた。
とりあえず状況のわからないクルガンは、物置の中に入ってドアを閉める。
中はやはり物置だけあっていろいろなものが無造作に置かれているが歩けるだけのスペースがあり、シードの周りは机、椅子、ライト等、ここで仕事をこなせる環境にカスタマイズされていた。
じー、っとクルガンはシードを見つめた。
シードは無言の訴えに思わず口を開いた。
「な、なんだよ・・・別に悪いことしてないだろ?」
「悪いことはしていないが、効率の良いこともしていないな」
「そ、そんなことねーよ」
悪いことはしていないといいつつも、クルガンに責められてシードは目をそらした。
クルガンは自分が有利な場にいることを確認し、薄い笑みを浮かべる。
「ほお?ではどこが効率の良い部分なのか説明してもらおうか」
「う・・・え、えっとだな・・・その・・・せ、狭い場所の方が作業スピードがあがる」
「場所なんて関係無いだろうお前は」
「そ、それは・・・・」
シードは言葉に詰まる。
完全に追い詰めたところで、クルガンは鋭い言葉をぶつけてみた。
「何から逃げている」
ビクリッとシードは俯く。
その様子から的をはずしてはいない問いかけだったのだろう。
「・・・私にも言えないことか」
「・・・・・・・・・・・・・・・よ・・・・」
「何?」
俯いたまま発せられた声が聞き取れず、クルガンは聞き返した。
するとシードはガバッと顔をあげてはっきりした口調で言った。
「嫌なんだよ!雨が!!」
「雨・・・・・・・・・・・・・・?」
予想もしなかった答えにクルガンは目を丸くするが、すぐに昨日のやり取りが浮かんできた。
───『雨は・・・止みそうか?』
「雨が・・・止まないから・・・・・・」
シードが呟くとクルガンは昨日から謎に思っていたものがつながる。
窓のある自分の部屋には戻らず、外から離れたあの廊下に立っていて、そして。
「・・・成る程。この物置に窓はついてないようだ」
「音も聞きたくなかった・・・だから部屋に戻りたくなかった」
「・・・わからんな。貴様雨の中戦場を駆け回っているではないか」
そうなのだ。
いままでシードが雨が嫌いだと匂わせるようなことは一度も無い。
何年も共にいるにもかかわらず。
シードはどこか、今にも泣き出しそうな顔をして俯いていたが、目を伏せてため息をつくと決心したかのようにぽつりと言った。
「俺に・・・妹がいるのは知ってるよな」
つながりの見えない問いかけだったが、クルガンは「ああ」と短く返事をする。
「あいつさ・・・・・・・・・・・・・・・・双子の姉なんだよ」
「何だと・・・?」
クルガンは驚く。
たしかにシードに妹がいて、そこまではいいのだが・・・双子。
そんな話は初耳だ。その妹にも会ったことが何度もあるが聞いたことが無い。
シードはクルガンの言おうとしていることを拾い上げたかのように続ける。
「あいつは覚えてないんだよ。自分がに妹がいたってことも・・・忘れちまって、さ」
シードは視線を下げて続きを話す。
「俺がまだガキの頃でさ・・・今くらいの時期に、あいつが熱出して倒れて・・・看病している親の代わりに俺と・・・・・・・・・・・・・・あいつの妹で買い物にいった」
淡々としゃべるシードは、まるでここに魂がないかのようで、クルガンは心配になったがしゃべりつづけるシードの話を黙ってきいた。
「・・・・・・買い物を済ませた帰りに、早く帰ろうと近道・・・・っていっても道と呼べる場所じゃなかったんだが・・・たまに通る場所を通って帰っていったんだ」
蘇る記憶。
鮮やかに残るその光景。
笑顔で笑う妹。
シードはいったん目を閉じてため息をついた。
「結構危ない場所でな・・・獣道ってやつか?だが別に立ち入り禁止でもなかったし・・・・・そんなとき、突然雨が降ってきた。・・・ちょうど、今降ってるような、どしゃ降りだ」
クルガンも覚えていた。
何しろ小雨がぱらつく程度のこの季節にどしゃ降りで、結構な騒ぎになったと記憶している。
「雨宿りする場所なんてねーから急いで帰ろうと二人で走った。だが・・・・・・・・」
しばらくシードは口を閉じる。
俯いているのでクルガンからシードの表情は読み取れない。
会話の最中にしては長い沈黙を破り、ようやくシードは口を開く。
「・・・・・・・・・・・・遮られた視界と・・・・・・・ぬかるんだ足元のせいで・・・・・あいつ・・・・・・足を滑らせて・・・・崖から・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
クルガンは座った状態のシードを、屈んで抱き寄せた。
シードはクルガンに顔を埋める状態になる。
「まだ・・・・話・・・終わってねぇ・・・・」
「もういい」
「・・・・・・・・似てるんだよな・・・・あんときの雨・・・・今回の雨にさ・・・同じように・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・死んだ部下もいたみてーだし・・・」
目の前で妹は底の見えない闇へと消えていった。
差し伸ばした手はむなしく宙に残る。
途切れることの無い雨の音だけが延々と聞こえていた。
「・・・・・・・・明日は・・・雨、止むといいな」
「ああ・・・そうだな」
シードは頭を強くクルガンに押し付けた。
クルガンはそんなシードの頭を優しく撫でた。
小刻みに震えるシードには、聞こえるはずの無い雨の音がずっと鳴り響いていた。


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